2018年5月、問題となっているアメフトの悪質タックル問題。
監督からの指示があったのかなど、日本中を巻き込む大問題となっている。
私自身はアメフトとの関わりはほとんどなく、同じ学校にアメフト部があったということぐらいしか関わりがないが、一応野球は少しやった。
そして、幸いにして、これまでいろんな指導者も見ることができたので、今回はその観点から体育会系問題に触れていく。
選手尊重型vs選手に人権などない型
最近は選手を尊重し、指導していく形もだいぶ増えてきた。
選手の自主性を重んじながらも、その中に厳しい指導がある。そんな形も増えてきたが、選手に人権などないと言わんばかりの指導もある。
昔は練習中水すら飲めないというようなことがあったが、それに代表されるように、選手が監督に意見することなどあり得ないというタイプだ。
私の場合は高校2年の途中で監督が代わり、最初の監督は選手に人権などないというようなタイプの監督だった。
どこまでが許されて、どこからが許されないのか?
[aside type=”boader”]- 「消えちまえ!」は許されるのか?
- 「タヒんじまえ!」はさすがにダメなのか?(←一応ブログなので、汚い言葉を直接書くことはやめます。察してください)
ブログなので2番を直接書くことは控えたが、この2つの言葉があったとして、今の時代許されるものなのだろうか?
私個人としては②は言われたことがないが、①はある。
また、監督や部員全員の前で、私自身は土下座をしたことがないが、させられている部員はいた。
そういったことが今の時代ではおそらくアウトだろう。
ただ、そういったことは結構体育会系には存在する。厳しい指導として、まかり通っているが、それが今の時代でも大丈夫なのかは大いに議論しなくてはならない。
私が野球をやっていた10数年前でも、上記のような「理不尽なことはアウト」の風潮は出始めていたが、今はもっと世間が厳しい。
監督の指示を無視は選手生命の終わり
いわゆる体育会系の空気を重んじる監督である場合は、監督命令を無視した場合、選手生命の終わりだ。
試合に出れなくなる。
高校野球の場合だと、3年間試合に出れなければ、野球選手として致命的だ。
アメフトの場合でも、同じであると推測される。
先ほど、部員の前で土下座の話をしたが、それをしなければ、何時間にもわたって説教されていたことだろう。(すぐに土下座したため、真相はわからない)
というより、土下座しなければ、練習が再開しなかったはずだ。
監督の要求を拒否してもいいが、指示されたことをやるまで延々と説教され、やらないと事が動かないということは往々にしてあるということの理解が必要だ。
相手を怪我させろは言語道断
今回のアメフト騒動は相手に怪我をさせる指示があったとして、現役のアメフト部員も動き出す模様。
これはよかったと思う。
体育会系の厳しさと相手に危害を加えることを同じにしてはいけない。
相手を故意に怪我させることはあってはならないことだ。
私の過去の体育会的な経験も、この記事では少しお話しさせて頂いたが、相手に怪我をさせろという類の指示を受けたことは一切ない。
怪我とは少し違うが、高校時代に練習試合で審判に対して、怒鳴るように文句を言ったチームメートがいた。主力ではあったが、すぐに説教を喰らい、交代となった。
審判に文句を言っただけと言ってはダメだが、判定に文句を言ったのみで、このような交代は起こる。
相手に怪我をさせるようなことが起こった場合、より事は重大なのだから、即交代か即説教がやはり自然である。
それはどの競技であっても一緒で、今回のアメフトの件では悪質なタックルが起こった後の対応が明らかにおかしかった。
まとめ〜時代遅れの指導は終わり〜
根性で指導する時代は終わった。
行きすぎた行為はSNSの標的とされ、活動停止や廃部が余儀なくされる。
そして、そんな根性論では簡単に言うことを聞いてくれないようになった。
理由は簡単。指導者の知識不足を見透かされるのだ。
野球の場合を見てみる。
最近の学生はスマホが普及しているため、野球理論に関する知識が豊富。
ネットで手軽にプロの技術論を手に入れることができる。
指導者が根性論で、技術論なく指導すれば、「こいつ、野球のこと知らないな」と見透かされ、言うことを聞いてくれないのだ。
そんな言うことを聞かないような選手を「今の選手は根性がない」などと言う指導者がいるが、それはあなたに知識がなく、それを見透かされているだけである。
要はバカにされているのだ。
バカにされていることに気づかず、根性論を押し付けて、「言うことを聞いてくれない」と嘆いているのは愚かと言う他ない。
指導も時代とともに変わる
以前のような、水一滴飲ませない的な指導は時代的な移り変わりを考えても、もう終わりだ。
旧態依然とした指導は一掃しなければならない。
前近代的な厳しい指導の結果、待っているのは栄光ではなく、「活動停止」「廃部」である。