【名将】プロ野球・甲子園の偉大な監督達の成績と勲章
野球が日本に伝えられて、今年で150年。日本のプロ野球、高校野球も長い歴史を刻む中、個性豊かな選手たちを率いて勝利を重ね、名将と呼ばれる監督の存在も大きな注目を浴びてきた。
そんな名監督たちを勝利数でランキングし、同時に野球だけでなくビジネスや人生全般にも役立つ名言の数々を拾ってみた。
プロ野球名将ランキング〜勝利数の多い監督の成績〜
1位 鶴岡一人
2994試合 1773勝 1140敗 81引分 勝率0.609
選手兼任を含めて1946年から23年間南海ホークスの監督を務め、黄金時代を築いた。
鶴岡親分と呼ばれ、厳しい精神論者のイメージがあるが、スコアラーを初めて取り入れてデータを活用したり、スカウトを使った選手獲得やファームを創設して選手を育成するなど、現在のプロ野球の礎を築いた。
勝利数とともに勝率も史上1位である。
2位 三原脩
3248試合 1687勝 1453敗 108引分 勝率0.537
巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトと5球団で監督を務め、歴代2位の勝利をあげた。
監督として3248試合出場は史上1位。9年間監督を務めた西鉄では、3年連続で巨人を破っての日本一を含む4度のリーグ優勝を成し遂げた。
また、大洋でも日本一となり、意表をつく選手起用や戦略は「魔術師」と称された。代打・代走のスペシャリストを育成し勝利に結びつけたのも斬新な手法だった。
3位 藤本定義
3200試合 1657勝 1450敗 93引分 勝率0.533
巨人の初代監督に就任し、公式戦第1回優勝を含め戦前の1リーグ時代に7回優勝し黄金時代を築いた。戦後2リーグ制になってからパシフィック(太陽)、金星(大映)、阪急、阪神の監督を歴任した。
阪神時代には2度のリーグ優勝に導いたが日本シリーズで敗退した。監督として29年間チームを率いたのは歴代1位。
4位 水原茂
2782試合 1586勝 1123敗 73引分 勝率0.585
選手兼任を含めて1950年から11年間巨人を率いた。その間日本一4度を含めてリーグ優勝8度と黄金時代を築いた。また、その期間中に長嶋茂雄、王貞治が入団している。
その後、東映、中日でも監督を務め、東映では日本一を達成した。巨人時代にブロックサインを日本で初めて導入した。巨人のチームカラーが黒とオレンジになったのも水原監督の時である。
5位 野村克也
3204試合 1565勝 1563敗 76引分 勝率0.500
テスト生として入団した南海で正捕手となり、4番を打ちながら監督を兼任。選手としてロッテに移籍するまでの8年間でリーグ優勝1度、2位に3度なっている。
90年から監督を務めたヤクルトでは、データを重視するID野球で3度の日本一を含むリーグ優勝4度。その後も阪神、楽天でチームを率いた。独自の野球哲学で多数の著書も残している。
甲子園(高校野球)の名将ランキング〜勝利数の多い監督〜
(通算勝利数が同じ場合は勝率の高い監督を上位にした)
1位 高嶋仁(智弁学園・智弁和歌山)
春:30勝13敗 夏:38勝22敗
両校で48年間指導。通算38回甲子園に出場し、68勝。うち優勝3回、準優勝4回。教え子に西川遥輝(楽天)らプロ野球選手が多数。中谷仁(智弁和歌山)、川崎絢平(明豊)ら第一線の高校野球指導者も多い。
2位 西谷浩一(大阪桐蔭)
春:28勝6敗 夏:33勝5敗
甲子園優勝8回は歴代1位。また、春夏連覇も2度達成。22年の選抜大会で、自身が尊敬する中村順司PL学園元監督の通算58勝を超えて61勝と2位に浮上した。現役監督として最多。
3位 中村順司(PL学園)
春:31勝7敗 夏:27勝3敗
甲子園での勝率.853は歴代1位。KKコンビと呼ばれた桑田真澄、清原和博を始め、後にプロ野球で活躍する名選手を多数指導し、強力なチームとしてまとめ上げた。
4位 馬淵史郎(明徳義塾)
春:19勝15敗
夏:35勝19敗
90年から明徳義塾の監督を務め、強豪校に育て上げた。02年夏、全国制覇。92年夏、星稜高校の松井秀喜を5打席連続敬遠したことで有名になった。国際大会で高校日本代表の監督を務める。
5位 渡辺元智(横浜)
春:23勝12敗
夏:28勝20敗
47年間にわたり横浜高校の監督を務め、73年春の選抜初出場で初優勝、98年松坂大輔を擁して春夏連覇を達成するなど、春3回、夏2回優勝。松坂の他、涌井秀章、筒香嘉智ら一流野球選手を輩出。
6位 前田三夫(帝京)
春:21勝13敗
夏:30勝10敗
72年から50年帝京の監督を務め、通算26回甲子園に出場。うち春1回、夏2回優勝。就任時に部員最少4人で、グラウンドもサッカー部と共用だった野球部を東日本屈指の強豪校に育て上げた。
7位 木内幸男(取手二・常総学院)
春:13勝6敗
夏:27勝13敗
甲子園で通算優勝3回。取手二ではPL学園を破り優勝。開設2年目の常総学院監督に就任した際は、3年後の夏に準優勝。小技を巧みに使って好投手から点を取る戦術は木内マジックとも称された。
8位 阪口慶三(東邦・大垣日大)
春:24勝16敗
夏:15勝16敗
東邦で77年夏、1年生投手坂本を擁し準優勝。坂本の人気は一世を風靡した。東邦は89年に優勝。22年選抜で、三元号すべてで勝利した初の監督となり、同時に最高齢選抜勝利監督(77歳)になった。
9位 蔦文也(池田)
春:21勝5敗
夏:16勝6敗
「攻めダルマ」の異名をとる。74年春は部員11人で準優勝し、82年夏、83年春は「やまびこ打線」と呼ばれた 強力打線で連続優勝。主軸の畠山準、水野雄仁は後にプロ野球で活躍した。
10位 小倉全由(関東一・日大三)
春:14勝9敗
夏:23勝10敗
甲子園に21回出場し、優勝2回。関東一の監督就任5年目夏に甲子園初出場しベスト8。88年春準優勝。60代半ばの現在も選手たちと寮生活を共にし、信頼関係を築いている。
プロ野球・甲子園(高校野球)の名将が残した名言
- 鶴岡一人「グラウンドにはゼニが落ちている」
- 三原脩「野球は筋書きのないドラマである」
- 水原茂「問題があるときに必要とされるのは、利口者ではなく信頼できる人である」
- 野村克也「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
- 高嶋仁「努力は一生、栄光は一瞬」
- 渡辺元智「甲子園には魔物なんて棲んでいない。もしも棲んでいるとしたら、お前たちの心の中にいる」
- 西谷浩一「満足感や慢心といったものが心に芽生えると、必ず成長は止まります」
- 馬淵史郎「日本一の練習をしたから、日本一になれるわけじゃない」
- 蔦文也「いい所を先に伸ばしてやるのが大事」
- 小倉全由「やみくもに厳しさだけを押しつけるのは単に指導者の自己満足であり、選手にしてみたら何ひとつプラスにならない」
まとめ
日本の野球レベルは向上し、今や投打二刀流で全米の注目を集める大谷翔平のような選手が出てきて、大きな進化を遂げている。
高校野球やプロ野球の監督たちも、時代に合わせつつ先人のやり方から学んで独自の哲学を築き上げ、人生を懸けて歴史を作ってきた。その偉大さの一端が、勝利数といった記録や名言からもうかがえるのではないだろうか。