どうも、激アツプロ野球人タケです。
今回は平成の怪物松坂大輔について。
数々の伝説を残してきた松坂大輔ですが、ソフトバンクに復帰してから、結果を残すことはできませんでした。
そんな松坂が中日の入団テストを受験することが決定!
平成の怪物と呼ばれ、数々の伝説を残した松坂大輔はこの先一体どうなっていくのか?
球界のエースと呼ばれた松坂大輔の野球人生をまとめました。
平成の怪物松坂大輔甲子園での輝かしい成績
高校時代の松坂大輔はスーパースター的存在。
メディアの注目の的となる存在で、連日報道されていました。
甲子園での実績も申し分なく、1998年の甲子園PL学園戦では延長17回を完投勝利しています。
決勝戦ではノーヒットノーランを達成していて、それは史上2人目の快挙。
数々の伝説を甲子園に残して、プロ野球の世界へと入りました。
松坂大輔西武時代の成績と歩み
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松坂大輔の西武時代をまとめました。
NPB時代の成績
1999年 試25 投球回180 16勝5敗 防御率2.60 151奪三振
2000年 試27 投球回167.2 14勝7敗 防御率3.97 144奪三振
2001年 試33 投球回240.1 15勝15敗 防御率3.60 214奪三振
2002年 試14 投球回73.1 6勝2敗 防御率3.68 78奪三振
2003年 試29 投球回194 16勝7敗 防御率2.83 215奪三振
2004年 試23 投球回146 10勝6敗 防御率2.90 127奪三振
2005年 試28 投球回215 14勝13敗 防御率2.30 226奪三振
2006年 試25 投球回186.1 17勝5敗 防御率2.13 200奪三振
1999年
1998年ドラフト1位で、競合の末西武が松坂を獲得。
1999年のプロ初先発で、155キロを計測した衝撃は今なお語り継がれています。
そして、ルーキーイヤーの成績は16勝5敗とエース級の活躍。
一気にプロ野球界でもスーパースターとなりました。
2000年
2000年は前年よりも成績を落としました。
防御率も3点台後半と伸び悩みましたが、規定投球回以上を投げ、14勝をマーク。
高卒2年目で30勝をマークするハイペースぶりでした。
2001年
3年目となる2001年は負け数が増えてしまったものの、15勝の活躍。
投球回は240を数えました。
2002年
怪我の影響があり、2002年は6勝どまり。
プロ入り後最低の成績となってしまいました。
2003年
2003年は2年ぶりに2桁勝利をマーク。
16勝7敗という成績を残し、1年間ローテーションの軸として投げ続けました。
2004年
2004年は10勝6敗。
アテネオリンピックの影響で、登板数が減ったため、勝利数が伸びませんでしたが、規定投球回以上投げ、堂々たる成績を残しました。
2005年
2005年は14勝13敗ながら、防御率2.30と安定した内容。
215イニングを投げ、チームの中心として活躍しました。
2006年
西武での最後の年となった2006年。
2006年は自己最高となる17勝を挙げ、防御率は2.13。
プロ野球に入ってから、最高の成績を挙げました。
この年を最後に、松坂はメジャー移籍。
レッドソックスへの入団が決まります。
松坂大輔メジャーリーグ時代の成績と歩み
松坂メジャーリーグ移籍後をまとめました。
メジャーリーグ時代の成績
メジャーリーグ時代の松坂大輔の成績は・・・
2007年 試32 投球回204.2 15勝12敗 防御率4.40 201奪三振
2008年 試29 投球回167.2 18勝3敗 防御率2.90 154奪三振
2009年 試12 投球回59.1 4勝6敗 防御率5.76 54奪三振
2010年 試25 投球回153.2 9勝6敗 防御率4.69 133奪三振
2011年 試8 投球回37.1 3勝3敗 防御率5.30 26奪三振
2012年 試11 投球回45.2 1勝7敗 防御率8.28 41奪三振
2013年 試7 投球回38.2 3勝3敗 防御率4.42 33奪三振
2014年 試34 投球回83.1 3勝3敗 防御率3.89 78奪三振
2007年
メジャー移籍1年目の松坂は32試合に登板し、15勝をマークしました。
防御率は4.40でしたが、1年間投げ切った松坂はさすがだったという一年。
メジャーでも通用することが証明されました。
2008年
2008年は松坂のキャリアの中でも、最もいい成績を残した年となりました。
18勝3敗という驚異の数字を挙げ、防御率は2.90.
チームの中心選手となりました。
2009年
2009年は開幕前にWBCに出場。
日本を優勝へと導きました。
しかし、シーズンでは怪我の影響もあり、結果を残すことができず。
登板は12試合に留まってしまいました。
2010年
2010年は前年よりもいい成績を残し、9勝6敗 防御率4.69の成績でした。
ただ、前年よりも持ち直したものの、メジャー移籍直後の活躍までには戻らず、苦しいシーズンとなりました。
2011年
2011年はプロ入り後最少の登板8試合。
結果を残すことができず、チーム内の立場もかなり厳しいものとなりました。
2012年
結果的にレッドソックスでの最後の1年となった2012年。
松坂は結果を出せず、1勝7敗 防御率は8.28と散々でした。
2013年
インディアンス傘下に移籍し、その後、メッツへと移籍。
3勝3敗 防御率4.42ながら、シーズン最終盤ではいい内容の投球が続き、アピールに成功しました。
2014年
2014年は中継ぎ、先発と登板機会があり、34試合に登板。
3勝3敗 防御率3.89の成績を残しました。
松坂大輔ソフトバンク復帰後の成績と歩み
2015年にソフトバンクに復帰。
日本復帰は2006年以来となりましたが、日本復帰後は結果を残せていません。
日本復帰後の松坂大輔をまとめました。
ソフトバンク復帰後の成績
2016年 試1 投球回1 0勝0敗 防御率18.00 2奪三振
2015年
2006年以来の日本復帰となりましたが、2015年は怪我に悩まされ、1軍登板はなし。
期待外れの日本復帰となりました。
日本球界1軍での松坂の登板は2016年以に持ち越しとなりました。
2016年
2016年も怪我に悩まされ、リハビリの毎日。
登板機会がないままシーズン終盤を迎えましたが、10月2日に日本復帰後1軍初登板。
しかし、内容は散々で、4連続四死球を与えるなど、大炎上でした。
2017年
2017年シーズンは登板機会0.
ソフトバンクでの3年間で、1軍登板は1回となりました。
そして、オフにソフトバンクを退団することになりました。
松坂大輔中日入団テスト決定
2018年シーズン松坂の所属先は未定ですが、中日の入団テストを受けることが決定しました。
中日の一員として、NPBでプレーすることができるのか?
松坂の2018年、そして、入団テストに注目が集まります。
平成の怪物松坂大輔の野球人生~まとめ~
平成の怪物と呼ばれた松坂大輔。
西武時代は2002年以外全て2桁勝利を挙げ、大活躍でしたが、30代に入り成績が落ちてきています。
2018年シーズンにもう一度花を咲かせることができるのか?
ベテラン松坂の行く末やいかに??